中学校で英語に出会った僕は、教科としての英語は好きで得意だったものの、人前で英語を話すことを恐れて避け続けていた。そのせいで英語の成績に悪く影響したり、交換留学生に悲しい顔をさせてしまったこともあった。
人前で英語を話すことに苦手意識を持ったまま大学生、そして社会人になってしまった僕は・・・
トラウマを抱えたまま大学生、そして社会人に
大学や入学試験では当然英語のテストもありましたし、就職活動でもTOEICスコアの提出が必要でしたが、僕はそういったテストをうまく乗り越えてきました。
僕が特に苦手だった「スピーキング」がなく、筆記問題が中心だったからです。
そうして僕は、英語を話すことを避けたまま社会人になってしまい、とある化学系メーカーに入社しました。
入社して配属された事業部門では、製品開発や製造は日本で行っており、同僚も全員日本人だったので、日常で英語を使うことはほぼありません。
海外の最新研究論文を読んだり、外国特許を読んだりすることはありましたが、英語を聞いたり話したりする機会はありませんでした。
そんな状況に、僕はある意味で「安心」していました。
一方で、その事業部門は僕が入社してから数年以内にシンガポールに拠点を作る計画を立てていました。
新拠点の現地スタッフとやりとりしたり、
今後は英語を使う機会が多くなるよ
そう僕に自己研鑽を勧めてきた上司は、年に2~3回海外出張に行き、海外顧客にプレゼンする業務を担当していました。
その出張報告を聞く度に僕は
カッコいいなぁ・・・
と思いつつも、英語を話すのが苦手な自分には無縁だな、と他人事として聞いていました。
転機となった入社3年目のシンガポール出張
上司が言っていた通り、僕の所属していた事業部門はシンガポールに拠点を設立して、グローバル化の道を歩み始めました。
そんな入社3年目のある日です。
シンガポールに作った拠点で技術的サポートが必要になり、日本の僕の部署に支援要請が来ました。
そしてあろうことか、入社3年目の僕に単独でシンガポールに出張し、技術サポートするよう指示が出たのです。
出発はなんと1週間後^^;
僕は当時、国内ですらあまり出張に行ったこともないのに急に海外出張に行くことになり、不安や驚き、そしてちょっとした興奮と、いろんな感情が入り混じった気持ちでした。
でも、英語が話せない僕がなぜ単独で海外出張なのか?
それは、僕のTOEICの点数が当時730点とそこそこ高かったからです。
英語の自己研鑽するよう上司に言われていた僕は、とりあえずTOEICの勉強をしていました。
そしてリーディングとリスニングだけで点数評価されるTOEICは、受験英語の延長線上のようなもので、点数だけはそこそこ取れていたのです。
でもよく言われているように、「TOEIC高得点」と「英語を話せるかどうか」は全く別物だということを、当時の僕は身をもって感じていました。
試験対策をしてそこそこのTOEIC点数を取っていただけの僕の英会話力は、依然として低いままでした。
それよりも、学生時代から引っ張ってきた「人前で話す恐怖」は克服していない状況でした。
さて、シンガポール拠点の支援の話に戻ります。
このミッションは現地にいる日本人スタッフでは対応できません。
だからこそ自分が呼ばれているので、英語を使って現地スタッフに技術指導を行い、自分でなんとかしなければならない。
今までのように、英語を「話す」ことから避けていてはこの大役は果たせません。
僕にとっては非常に大きなチャレンジであり、その後の人生を左右する大きな転換点でした。
コミュニケーション力不足によるプロジェクトの遅れ
それから出国まで毎日、現地でシンガポール人を相手に英語で指導する場面を思い浮かべては
いや、できる気がしないな・・・
と落ち込む日々でした。
入社3年目とはいえ、技術的な面での自信はあり、日本人相手ならなんとかなる内容でした。
悩みの種は当然、コミュニケーション(=英語力)です。
不安だった僕は、シンガポール行きの移動時間も活用しようと機内に文法書を持ち込み、8時間のフライト中に必死に読み込みました。
冷静になって考えれば当然なのですが、フライト中の数時間でインプットした英語の知識を実際の会話で活かせることはほぼありませんでしたが^^;
それだけの焦りと不安を感じていたというのは紛れもない事実です。
現地には1週間滞在し、シンガポール人スタッフ2人を相手に技術指導を行う計画です。
今あるデータでは抜けがあるので、新たに測定が必要だ、
過去データと照合して、足りないデータを取ってくれないか?
解析にはこのソフトウェアが必要だ、
立ち上げてログインしてくれないか?
日本語であればすぐ伝えられることなのですが、
でもこれ英語でなんて言えばいいんだ?
文法的におかしくないか?失礼な言い方にならないか?
などなど話す前にいったん考えていたので、ひとことを発するまでに非常に時間がかかりました。
当然、現地のシンガポール人スタッフとの英会話もキャッチボールという感じではなく、とてもギクシャクした感じでした。
それでも、1週間のうち半分が過ぎました。
計画に対し明らかに遅れが出ていました。
日本人相手であれば3日で終わるとみていた内容で、それでも海外ということで余裕を持たせた計画のはずでした。
明らかに、自分のコミュニケーション力による遅延でした。
ニガテを克服できた瞬間
プロジェクトの進行で明らかに遅れが出ている状況に、僕は焦りを感じ始めました。
それでもこのプロジェクトは、僕がシンガポールに滞在している間に完遂しなければいけない。
つまり、残りの数日間で遅れを挽回しなければならないわけです。
焦った僕は、そこでようやく、コミュニケーション方法を変える必要があると気付きました。
文法的な正しさなどを気にしている場合ではない、それよりも今やらなければならないこと、やって欲しいことを伝えて前に進めないといけない。
英語を学び始めた中学生の時からずっとあった、「下手な英語を人前で話したくない」という変なプライドに気付き、捨てた瞬間です。
そこから、文法的に多少ムチャクチャでも、単語も合っているかどうかわからなくても、とにかく相手に伝え、前に進めるように努力しました。
この時の僕の焦りは表情や仕草にも出ていたようで、シンガポール人スタッフにも僕の変化が伝わっていました。
相手のシンガポール人スタッフも、僕の言いたいことを理解してくれ、プロジェクトは大きく加速しました。
状況を説明したら残業にも付き合ってくれました。(日本人のような残業は通常あまりしないらしいです)
そして週前半の遅れを取り戻し、なんとかギリギリ、帰国までに技術指導を終えられました。
僕はこのプロジェクトを通して、「英語は完璧でなくても、まずは伝えたいという『想い』が大事」ということを学んだのです。
【Episode 3へ続く】
- 英語を使って海外顧客相手に仕事する日系企業サラリーマン
- もともと純ジャパ・海外経験なし、社畜生活で不眠症を経験
- 自分を変えるべく独学で&国内で英語を習得、TOEIC950点
- ドイツに研究留学して博士号取得、2024年から海外駐在
- 英語で人生を豊かにする人を増やしたい!
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